Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

The Art of Asking Questions

コミュニケーションはプロトコルにそった通信系の実装みたいなもの

自分のいる業界(IT)では、「採用にあたって要求するスキルは?」と聞けば多くの場合「コミュニケーション能力」という答えが返ってくる*1。意外と思われるかもしれないが、IT会社(SIer)の中で発生する仕事はホトンドの場合、一人では完結しないものであり、多くの利害関係者との協力や調整が必要であるからだ。

ここでいうコミュニケーション能力というのは次を意味している。

  • 相手に意図した内容を齟齬無く伝える
  • 相手の意図する内容を正確に把握する

この時の大原則は、相手に何かを伝える時は誤解が生じないような最大限の工夫を行い、情報を受ける場合は常識的に考えられる最大限に寛容な姿勢でそれを理解する、ということである。

ITエンジニアにとっては、「W3Cが規定したWebサービスのプロトコルに沿ってクライアントとサーバの実装を行う際、それぞれのサイドでどうやってペイロード解釈を実装するか」と同じようなこと、といえば分かりよいか。クライアントは他のサーバ、つまり他人が理解したWebサービスの仕様解釈に基づく仕組みに繋ぐかもしれないし、サーバは知らないクライアントからの接続を受け付ける事が想定される。

今回のテーマである「質問」は、言うまでもなく、コミュニケーションの一部である。自分は、会社で仕事をしている際は、上述の定義のコミュニケーションは割と得意な方ではないかと思っていたのだが、最近、質問(聞く方)については、めっきり下手であることに気づいた。今日はその件についてのエントリである。

良い質問とは?

定義に戻れば良い質問とは「答える人に解釈の齟齬を与えないもの」ということになる。一方で、自分はどういう訳か「グサッ!」という質問が好きらしく*2、それが、質問の質を著しく落としていることに気づいた。

先日、ある投資理論を学ぶ授業のイントロで教授が、「グローバルマクロ経済を見る時は次の4つの指標がとても重要」と話していたので、「なぜその4つの指標を選んだのか?」という質問をした。

すると教授は一瞬顔に「?」を浮かべながら「たくさんの指標をあたって、どれが特徴を最もよく表しているか長い時間考えた末、その指標を選んだ」というようなことを回答した。

正直、がっかりである。そんな事は聞かなくても分かっている。自分が言いたかったこと、聞きたかったのは次のようなことだった。

  • その指標が大事だという根拠をもっと説明してほしい(ここはその後の根幹に関わる部分で、これを無条件で信じると、その後はその上での理論展開なので、間違っていた場合の影響が大きい)
  • 他の指標が大事だといっているマクロ経済学者はいっぱいいるし、それぞれの人が独自の理論、着目で投資理論とかをあちこちで語っているが、それとの違いは?

つまり、ややもすると、「この指標が大事だ」を受け入れた時点で、何も考えずに書店の投資コーナーで「○○理論で年率15%の投資チャンスを切り開こう!」といった類の本を買って、それを無批判に実践するのと全くの差が無くなってしまう。それを危惧しての質問なのである。

自分の中では、この質問は「グサッ」系の質問に分類されている。つまり、一見単純な事を聞いているように見えるんだけど、その実、これに答えるには原点に立ち戻ったり、色々な事を鑑みなければならないからだ。


別の例だと、ビジネスデベロップメント系の授業にて次のようなやり取りがあった。教授:「ベストプラクティスを継続的に構築することはグレートカンパニーにとって必要なこと」自分:「そのペストプラクティスは他の会社に適用できるのか?」

この質問で聞きたかった事は、次のような事だ。

  • ペストプラクティス構築には時間がかかるが、(例えばスタートアップ企業が)それを短縮する手段はあるのか?
  • それが大事ならナゼ多くの会社がプラクティスを高らかに公表しているのか?
  • ベストプラクティスの構築よりも、それを血肉として運用できる組織や企業文化が実は重要なんじゃないのか?

案の定、教授の答えは「一部、例えばSix Sigmaといったプラクティスはユニバーサルに適用できる」というわざわざ質問して聞かなくてもよいような自明なものだった。

質問はコミュニケーションと意識する

こういう質問の仕方は、自分の勝手な解釈だと、日本社会では広く認められているように思っている。日本語がハイコンテキストな言語だからかどうかは分からないが、実際に、日本でこの手の質問をして意図が伝わらなくて口惜しい思いをしたことはあんまりない*3

ところが、国外に出ると、どうもそうでは無いらしいということに気づいてきた。そういう目でみれば、授業中に質問する外国人はみんな、質問の背景を説明して→質問を説明して→いくつかの重要なキーワードに言及して、という具合に、質問そのものが結構長い。そして、よく見れば、確かに質問そのものを誤解する可能性が極めて低いようなやり方をしている。

対して自分はそういう聞き方は全くしていなかった。今頃気づいたが、そのせいで、欲しい回答が得られるチャンスを逃してきたのだ。最近、ある教授にメールで「授業中に聞いた質問はこういう意図だった、改めて回答してくれないか」と丁寧に全部書いて送ったら「その質問は明らかに君が授業中に聞いたものとは異なるじゃないか!」という返事を貰った。

そう、まさに、質問というのはコミュニケーションの一部だったのだ。「グサッ」という質問は、多分、考えさせる質問なんだろうけど、そもそも、その質問の意図が伝わらないようなもの(低品質な質問)は、それ以前の問題なのだ。ある質問の裏に、何か本当に聞きたい事があるのであれば、それをそのまま聞くのが多くの場合に得策である。その際、相手に伝わるようにコンテキストの助けを借りるというテクニックも、よく考えればその他の場面では自分も普通に使っていた手法である。

海外に出ると、(自分の未熟さから)それまで当たり前だと思っていたことがそうではない、ということに気づく機会は多いのだけど、本件もその中の一つであるように思う。この点は今後意識して改善していきたいとも思うし(今更という感じもするが)、まだ学ぶことはあるな、と一年ちょっと前の初心を思い出したのである*4

*1:おそらくはIT以外の会社でも同様の傾向だと思うが

*2:無駄にカッコつけたいのかもしれない...

*3:もちろん日本語と英語の言語力の違いも加味する必要はあるけど

*4:なお、上記で例示したような質問は日本語でも分かりにくいし、そもそも大した質問じゃない、という批判は甘んじて受け入れる...