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海外生活

海外で生活するのは、大学院生時代からの夢だった。修士時代に自分の所属していた研究室はちょっと変わっていて、夏休みは必ずインターンシップに行くことが義務付けられていた。修士2年の時に、LAのITベンチャーに2ヶ月ほど滞在した。その時の経験がその後の海外志向を作ったといっても過言ではないかもしれない。

ちょうど、そのインターンに行く前に、謎の性格テストみたいなものを受けた。「大雑把だからもっと慎重になろう」とかそんな結果が返ってくる、よく会社の研修とかで受ける類のやつだ。その中に、海外耐性という項目があった。正直ストレス環境に極端に弱いし、どちらかと言えば内向的な自分が海外でうまくいくなんて、1ミクロンも思っていなかった。が、意外にもかなりの高スコアを獲得した。曰く「こいつは海外に向いている」と。

実際、米国LAに滞在した際は、それはそれは楽しい日々を過ごした。なんて言うか、恐ろしいラッキーで、人、環境に恵まれ、何不自由なく生活をエンジョイできたし、英語でコミュニケーション取るのもそんなに辛くなかった。むしろ、自分の変な英語が通じた時はすごくアドレナリンが出ていたと思う。それに、日本とは違う環境、違う文化に触れるのがたまらなく刺激的だった。

一方で、ITエンジニアとしても米国は憧れの地だった。「何でイノベーティブな技術は全部アメリカ製で、日本では生まれないんだろう」と本気で疑問に思ってたし、その理由を知りたいと考えていた。あの地で一旗上げてこそITで成功したと言えるだろうなと漠然に感じていた。その意味でも何時かはまた米国に戻りたいと意識するようになった。

実は、インターンシップでお世話になったベンチャー会社からはフルタイムのジョブオファーを貰っていた。かなり悩んだ結果、事前に内定をもらって受諾していた今の会社を選んだ。ちなみに、この理由が「プレッシャーにひよった」ことだというのは、今まで誰にも話したことがない。

麻薬のような海外の刺激、ITエンジニアとしての未来、そして「あの時海外を選んでいたら?」という後悔の念を元に海外志向は就職後も消えることは無かった。会社で海外への異動願いを出した回数は数えきれない。役員に会う機会があれば必ず海外異動の意思を伝えていたし、社内報の執筆依頼が来た時も海外についての思いを書き、人事部に提出する身上書でも海外勤務を希望し、半期に一度のパフォーマンス評価面談でも常に海外勤務をお願いし続けた。

でも、世の中はそんなに上手く出来ていなくって、結局、そんなアピールは何にも響かなかった。本気であることを認めてくれる人はいなかった。「君を海外に異動させたらどんなメリットがあるか説明してみて」と言われた回数は相当な数だろう。自分の回答は決まって「そのメリットも見いだせないってどゆこと?見る目がないな。。」というおおよそ社会人とは思えない甘ったれて、ひどいものだったので、ある意味当然の帰結だったかもしれない。

30歳を過ぎた時に、いよいよ焦りだした。その後のキャリアを考えた時に、これ以上待っていたらそもそものチャンスが消滅するだろうと危機感を覚えた。リクナビとかで海外勤務の職を探し初めて、次の上司との面談で「海外に異動さえてくれないなら会社を辞める」という伝家の宝刀を抜く準備を進めていた。そんなタイミングで転機が訪れた。会社の留学制度が改訂されたのだ。

改訂の骨子は「中国コース」が設置されたこと。会社の大きな戦略で、アジア事業、特に中国事業がクローズアップされたことによる措置だった。実際のところどれくらいの応募があったのかは知らないが、この新設中国コースへの応募はかなり少なかったと思う。多くの社員の間で「中国異動=左遷、もしくは相当な物好き」という意識が共有されていたからだ。ちなみに、自分は途中から米国に拘ることもなく、中国でもよいから異動させて、とお願いしていた。色々な心境の変化があり、自分の目には中国もとても魅力的に映っていたからだ。だた、それも受け入れられることは無かったが。

その低競争(ひょっとして競争なし?)の倍率を勝ち抜いて社費候補となった時の正直な気持ちは「あー、これでまだこの会社にしばらくお世話になるんだな」というものだった。伝家の宝刀は抜かずにすんだ。

そこからは、今振り返っても本当に幸運が続いたと思う。職場(部、チーム)の協力は本当にありがたかった。前述のとおり、海外志向という無謀な宣言は職場のみんなが知ってくれていて、ホントに色々協力してくれたのだ。そんな援助を貰ってもTOEFLの点数が出ないときは絶望したが、ラッキーはその後も続き、なんだかんだで受けた大学は全て合格できた。

そして今、遂に再び海外の地におりたった。修士2年の夏休み、2004年から数えて7年後のことである。「人生万事塞翁が馬」という言葉があるが、振り返るとこの道は凸凹だったが、なんだかんだで随分と恵まれたものだと気付かされる。ちょうど今日、Facebookで「人生の大事な決断を迫られた時、後で後悔するようなことはしない、それが人生だから」というちょっとカッコいい投稿を見た。そのカッコ良さに刺激されて、こんな恥ずかしいエントリを書くに至ってしまった。

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